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大阪地方裁判所 昭和47年(ワ)2182号 判決

原告

佐藤肇

原告

佐藤澄

右両名訴訟代理人

中井真一郎

被告

学校法人関西医科大学

右代表者理事長

岡宗夫

被告

河野修造

右両名訴訟代理人

石井通洋

右両名訴訟復代理人

夏住要一郎

主文

一  被告らは各自、原告佐藤肇に対し、金六九〇万円及び内金六三〇万円に対する昭和四七年三月一五日から右支払済に至るまで年五分の割合による金員を、原告佐藤澄に対し、金六六〇万円及び内金六〇〇万円に対する昭和四七年三月一五日から右支払済に至るまで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを四分し、その一を被告らの負担とし、その余を原告らの負担とする。

四  この判決は、金員の支払を命じた部分に限り、原告ら各自において、被告ら各自に対し、各金六〇万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自、

原告佐藤肇に対し、金二八一二万四六一一円及び内金二七一二万四六一一円に対する昭和四七年三月一五日より完済まで年五分の割合による金員

原告佐藤澄に対し、金二七五三万二六〇一円及び内金二六五三万二六〇一円に対する昭和四七年三月一五日より完済まで年五分の割合による金員

をそれぞれ支払え

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  被告学校法人関西医科大学(以下「被告大学」という)は、その住所地である大阪府守口市文園町一番地において付属病院を開設して医療業務を行つているものであり、被告河野修造は、右病院小児科に勤務している医師である。〈以下、省略〉

理由

一請求原因1の事実及び、原告らの二男の亡直樹(昭和四二年一一月二〇日生)が昭和四七年二月二〇日、被告大学の付属病院に入院し、同病院の隔離病棟において、被告河野を主治医として、病気の治療を受けていたところ、同年三月一五日、午後五時頃、急性循環不全により死亡したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

二ところで、原告らは、亡直樹は被告河野の未必の故意にも比すべき重大な過失によつて死亡したものであると主張するので、以下この点について判断する。

1  (脳血管撮影について)

亡直樹が被告大学の付属病院に入院した翌日の昭和四七年二月二一日、被告河野の指示により、右付属病院の脳外科において、亡直樹の脳血管撮影が行なわれたことは当事者間に争いがないところ、原告らは、亡直樹の入院当時の疾病は、お多福風性髄膜炎であつて、これは無菌性髄膜炎であり、その症状は比較的軽く、予後も良好で、適切な診療によつて容易に回復するものであつたから、当時亡直樹については、脳血管撮影を行なう必要はなく、却つてこれを行なうことは有害であつたのに、被告河野は敢てこれを行なうことを決定し、かつ、その後に行なわれた脳血管撮影の施行自体が極めて不適切であつたために、亡直樹は、シヨツク症状を起こして、意識不明、麻痺様症状等の重篤な症状を呈するに至つたと主張している。

しかしながら、右原告らの主張事実に副う弁論の全趣旨によつて成立の認め得る甲第三四号証の記載内容及び原告佐藤肇、同佐藤澄各本人尋問の結果はたやすく信用できず、他に右原告らの主張事実を認め得る証拠はない。

却つて、〈証拠〉を総合すると、以下の事実が認められる。

(1)  亡直樹は、昭和四七年二月一三日朝方から、首の痛みを訴え、約四〇度の発熱と耳下腺部の腫脹を来たしたので、原告らは亡直樹がお多福風に罹患したものと考え、しばらく自宅で投薬等の処置をした後、同月一五日東豊中診療所で診察を受け、お多福風と診断されて投薬を受け、一旦熱は下がつたが、同月一九日には、再び高熱を出したので、再度東豊中診療所で診察をうけた。

(2)  しかし、亡直樹はその後も解熱せず、右同日夜から翌二〇日の朝にかけて不気嫌となり、駄々をこねたり、うとうとしたりして、様子が異なるところから、原告らは、二〇日午前六時半頃、亡直樹を連れて豊中市民病院(同日は日曜日であつたが同病院は急患については終日これを受け入れていた。)に赴いて診察をうけ、フエノバールとクロマイの筋肉注射をうけ、レスタミン(抗ヒスタミン剤)等の投薬をされた。

(3)  その後も、亡直樹の様子が変化しないため、原告らは、右同日午後三時頃、被告河野が経営する小児科の専門医の河野小児科医院をたずね、被告河野の妻であり同じく医師である訴外河野さだ子の診察を受けたところ、同医師は、亡直樹を直ちに入院させる必要があると考えたので、その旨原告らに告げると共に、当時被告大学の付属病院に居た被告河野にもその旨連絡した。そこで、被告河野が急ぎ帰宅し、同日午後六時頃、亡直樹を診察した結果、亡直樹は、意識不明(嗜眠もしくは傾眠状態)で左の上肢に麻痺があつたので、亡直樹を直ちに入院させる必要があると判断し、原告らに亡直樹の入院を勧めたところ、原告らは、直ちにこれに応じ、亡直樹は、右同日午後七時三〇分ないし八時頃被告大学の付属病院に入院した。

(4)  亡直樹は、右入院する途中も、自動車の中で酸素吸入を受ける程の重篤で、入院時の亡直樹の症状は、意識障害、左側半身麻痺を主訴とし、全身に皮膚の発疹があり、顔面無欲情、顔面左右不均衡、瞳孔左右不同瞳孔反射異常、皮膚の脱水症状があり、正常反射はすべて左側に亢進があり、異常反射も左足にバビンスキー反射及び強度のクロヌス反射があり、強度二度の心雑音が聴取されたが、ケルニツヒ反応等の髄膜刺激症状は微弱で嘔気、嘔吐もなかつた。また、被告河野が、入院当日である二月二〇日に亡直樹の右症状を診て、腰椎穿刺を行なつて髄液を採取したところ、髄液はやや血性で、脳圧は正常、菌は発見されなかつたが、キサントクロミー(黄色調の髄液で、検査以前に出血した血液の赤血球が崩壊したもの、脳内あるいはくも膜下の出血を示す)が認められた。そして右諸症状の観察の結果、被告河野は、入院当初の亡直樹の疾患病名として、敗血症、脳髄膜炎、脳膿瘍、脳血栓及び脳腫瘍等を疑いつつ、一応お多福風の既応歴が直前にあることを原告らから聴いていたため、右脳の疾患は、お多福風が原因で起きた可能性もあると考え、「(流行性耳下膜炎)脳膜脳髄炎」と小児科入院病誌(乙第一号証)に記載した。

(5)  被告河野は、右髄液検査の結果、髄液中に出血が認められたため、亡直樹について脳出血あるいは脳膿瘍の存在を特に疑い、もしそうであれば、脳血管撮影をして、脳出血の場所を明確にした上、手術等の脳外科的手段で早期に治療を施すことが必要であるため、二月二〇日入院当日の夜、宿直の脳外科の医師と相談の上、翌二一日に被告大学付属病院小児科の松村忠樹部長の承認をうけ、また、その頃、亡直樹の両親である原告らにも脳血管撮影の意味内容を説明して、これを行なうについての承諾を得て、脳内の病態鑑別のために脳血管撮影を実施することとし、右二月二一日、被告大学の付属病院脳外科において、亡直樹の脳血管撮影が実施された。

(6)  入院時から本件脳血管撮影するまでの間も、亡直樹は、意識不明(嗜眠状態あるいは意識朦朧状態)の状態が継続し、二月二一日午前〇時すぎから同二時三〇分頃までの間時々大声を出して暴れるなどし、同日朝方から左半身麻痺を来たし、右脳血管撮影をする際の脳外科における診察では、瞳孔左右不同が認められ、瞳孔反射がなく、頸部強直、左半身の痙攣性麻痺、正常反射の左側亢進が認められたが、嘔気、嘔吐、異常反射は認められなかつた。

(7)  本件脳血管撮影の結果、亡直樹には、右中大脳動脈の欠損と一部血管径の縮少が認められ、これからすると脳炎による右中大脳血栓症を疑うに十分であつた。

(8)  本件脳血管撮影をした後も、亡直樹の病態に変化はなく、注射等に対する反応はあるが、意識は以然として不明で、半昏睡状態が継続した。そして、右脳血管撮影を行なつたために、亡直樹の病状が、従前より一層重篤になつたようなことはなかつたが、その病状は好転せず、意識不明の状態が続いていた。

(9)  なお、お多福風髄膜炎の特徴としては、一般に、頭痛、嘔吐等があり、また、髄液は圧が軽度に上昇し、外観はほぼ水様透明であるところ、亡直樹の入院時には、右のような症状はなかつた。

以上の事実が認められる。

そして、以上認定の事実からすると、亡直樹は、その入院当時、単なるお多福風髄膜炎に羅患していたに過ぎないものとは到底認め難く、却つて、その入院当時から意識障害(嗜眠状態ないし半昏睡状態)、痙攣、左半身麻痺、高発熱、心雑音の発生、脈搏、呼吸状態の不良等を伴う等の前記亡直樹の病状に照らすと、当時亡直樹は、敗血症、脳髄膜炎、脳膿瘍、脳血栓、脳腫瘍等の脳失患に罹患した疑いが十分にあつたし、また、亡直樹の脳血管撮影の結果では、脳内に右中大脳動脈の欠損及び一部血管等の縮少があつたのであるから、被告河野が亡直樹の脳血管撮影を実施することにしたことについて、医学上何ら責められるべき点はないし、また、右亡直樹の症状が、脳血管撮影を行なつたために、より一層重篤になつたこともないというべきである。

そうしてみると、その余の点について判断するまでもなく、本件脳血管撮影を行なつたことについて、被告河野に過失があるとの原告らの主張は失当である。

2  (被告河野の診療行為について)

次に、原告らは、被告河野は、亡直樹の脳血管撮影後、原告ら主張の請求原因3の(二)に記載の通り、必要な検査や治療を行なわず、適切な診療をしなかつたため、亡直樹の病状を悪化させたと主張するが、〈証拠判断略〉によると、次の事実が認められる。すなわち、

(一)  亡直樹は、被告大学付属病院に入院した後昭和四七年三月一五日に死亡するまで、その容態は重篤であり、終始意識不明で、麻痺様症状を呈し、呼吸困難、一般状態の不良等という重篤な状態が継続し、その間に二度も危篤状態に陥るなど、ほとんど回復の兆しはなかつた。

(二)  その間にあつて、被告河野は、本件脳血管撮影をはじめとして、血液、髄液検査、眼底検査、心電図の作成等の検査をした上、亡直樹の病態を適宜観察して一般状態を把握し、その結果、細菌感染症による心臓疾患(心内膜炎)、脳疾患(脳血栓等)及び敗血症等に対する対症療法として、ガンマーグロブリン等各種の抗生物質及びジキタリス等強心剤の投与、酸素吸収、点滴等の治療を実施したところ、右被告河野の行なつた診療に過誤はない。

(三)  また、

(1) 被告河野が亡直樹に用いた痰の吸引器は、古くて使用の難しいようなものではなかつた。

(2) 酸素テントも、一般に市販されているアトムの簡易テントであるが、中の温度も酸素の流量も調達でき、格別不良なものではなかつた。

(3) 亡直樹は、被告大学付属病院に入院中、テール便を排泄したことがあり、被告河野が飢餓性下痢便をテール便と誤認したことはない。

(4) 亡直樹の体重は、入院時に測定されており、その際の体重は一四キログラムであつた。

以上のような事実が認められる。

そうしてみると、被告河野は、後記異型輸血の点を除いて、一応医師として求められる程度の診療行為は尽したというべきであつて、亡直樹の前記重篤な症状の継続の責任を同被告に負わせることはできず、原告らのこの点に関する主張は失当である。

3  (異型輸血について)

(一)  被告河野が、亡直樹に対し、昭和四七年三月一五日輸血を行なつたこと、右輸血の給血者が訴外藤原とし子であり、同人の血液型がAB型であつたこと、これに対し、亡直樹の血液型はO型であつて、右輸血は異型輸血であつたこと、以上の事実については当事者間に争いがない。

(二)  次に、〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、亡直樹の主治医である被告河野は、昭和四七年三月一五日午後四時三〇分頃、訴外藤原とし子から二〇〇立方センチメートルの採血をして、そのうち五〇立方センチメートルを亡直樹に注射したところ、右輸血し終るまでの間に、亡直樹の異状を認めなかつたので、被告河野は、一旦直樹の病室を出たが、間もなく亡直樹の容態が急変したことを知らされ、直ちに亡直樹のところに引返し、亡直樹に対し、人工呼吸や心臓マツサージをし、また、強心剤やその他の薬剤を注射する等の治療を施したが、その効もなく、亡直樹は右同日午後五時頃死亡した。そして、右亡直樹の死因は、不適合輸血によつて惹起された急性循環心不全であるが、それまでの亡直樹の全身高度羸痩状、栄養不良などに加えて、全身状態が重篤なものであつたことが、右直接の死因に影響を与えた。以上のような事実が認められ、右認定に反する原告佐藤肇、同佐藤澄各本人尋問の結果はたやすく信用できず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

(三)  ところで、一般に、人の生命を預かる医師が、患者に対する治療行為として輸血を行なう場合には、もし異型輸血等の不適合輸血を行なえば患者の死亡という事態も発生しかねないのであるから、事前に供給血液と患者の血液との適合性を判定し、不適合輸血をしないように注意する義務のあることは当然である。そして、〈証拠〉によると、血液型適合検査としては、少なくともABO式血液型判定と交差適合試験の二方法を為すべく、新鮮血の輸血の場合は、特に慎重に右検査をすべきであつて、不適合輸血を防止するためには最低限、ABO式血液型検査においては、両血液の食塩水浮遊血球を用いて抗A抗B各血清によつて凝集反応を調べ、全血法(自己血清浮遊血球を用いる方法)による場合は必ずうら検査(可検血清にA型及びB型の各血球を混じて凝集反応を調べる方法)を併用し、また抗A抗B血清についてはその有効期限の切れたものを使用しないようにし、判定時間として定められている時間の間の観察を怠つてはならず、反応が十分行なわれるように少なくとも二ないし三分後に判定すべきであること、また交差適合試験については、少なくとも、患者血液及び供給血液をそれぞれ血球と血清部分に分け、供給血の血球と患者の血清、その逆の組合せの双方について凝集反応の有無を調べ、双方とも陰性であることを確認する必要があること、以上の事実が認められ、〈る。〉

これを本件についてみると、〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、(イ)訴外藤原とし子(当時二二才)は、原告らの知人である訴外鈴鹿常雄に頼まれて亡直樹に供血することとしたところ、自己の血液型については、中学生の頃、理科の授業の際血液型を調べる実験をしてO型であつた記憶があるだけで自信がなかつたが、病院であらためて調べるということであつたので、被告大学付属病院に赴いたこと、(ロ)そして、訴外藤原は、右付属病院で看護婦の問に答えて、「一応学校で調べただけなのではつきりしないが、その時O型だつたと思う」旨述べたところ、被告河野は、傍でこれを聞いていたが、自らはそれ以上の問診はせず、直ちに訴外藤原の耳朶から血液型判定用の血液を採取したこと、(ハ)そして、被告河野は、これを直ちに全血法によつて抗A、抗B両血清に混じて約一分間位凝集反応を調べたところ、その間に凝集を認めなかつたので、右藤原の血液型をO型と誤つて即断したこと、右両抗血清はいずれも付属病院隔離病棟内の冷蔵庫に保管してあつたが、有効期限をすでに半年以上経過したものであつたのに、被告河野は右有効期限を確めずにこれを使用したこと、(ニ)また被告河野は、右ABO式血液型判定検査において、訴外藤原の血液(自己血清浮遊液)を抗A、抗B血清に混じるといういわゆるおもて検査しかしなかつたこと、(ホ)次いで被告河野は、訴外藤原の血液を持つて二階二三号室の亡直樹の病室にかけ上がり、交差適合試験を行なつたが、これも単に亡直樹と訴外藤原の各血液を混じて凝集反応を見るいわゆる三滴法と称する方法により、しかも、約一分間足らずの間凝集反応を確かめたのみで、凝集反応なしと認めて、右藤原の血液を、誤つてO型と即断したこと、以上の事実が認められ、〈る。〉

してみれば、被告河野は、亡直樹に輸血をするに当り、供血者である訴外藤原の血液型を慎重に調べず、有効期限の経過した抗血清を漫然と用い、ABO式検査及び交差適合試験ともに、わずか一分程度の間に凝集反応なしと軽信し、またABO式検査では全血法という不完全な検査方法でおもて試験のみしか実施しなかつた過失により、訴外藤原の血液型をO型と誤信して亡直樹に輸血したものというべきである。

したがつて、被告河野は、民法七〇九条により、亡直樹の死亡によつて原告らの被つた後記損害を賠償する義務がある。

三次に、被告大学の被用者である被告河野が、被告大学の業務の執行として、亡直樹に対する前記輸血を行なつたものであることは、前記認定の事実から明らかであるから、被告大学もまた、民法七一五条により亡直樹の死亡によつて原告らの被つた後記損害を賠償する義務がある。

四そこで、亡直樹の死亡による損害について判断する。

1  亡直樹の逸失利益

原告らは、亡直樹の死亡による逸失利益は金三〇六万五二〇二円であると主張している。

しかしながら、前記二に認定した事実に、〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、

(一) 亡直樹は、被告大学付属病院に入院した昭和四七年二月二〇日当時から死亡した同年三月一五日までの間、意識不明の状態が続き、身体の一部に麻痺があり、栄養も自力で摂取することができなかつたので、口からチユーブを入れて栄養を摂取させたり、点滴ないし輸血等で栄養補給をしていたし、また、酸素吸入を続けていた。

(二) 亡直樹の病状は、被告河野の前述の如き治療にも拘らず、その入院後も好転せず、却つて悪化を続け、その間、広汎かつ高度の機能障害が続き、亡直樹の死亡した昭和四七年三月一五日の状態は、全身高度羸痩状、栄養不良などに加え、脳においては軟脳膜炎、軟脳膜下の小動静脈中にエオシンに染る糸状物質があり、また、血管内膜炎及び周囲炎、新旧混在せる出血(ヘモジデリン形成、一ケ月位経過)などがあり、脳実質には小巣状に神経細胞の壊死、小膿瘍、小軟化巣(一ないし二週間位経過)を多発しており、間脳にも、軟化巣と小動脈内にフイブリン血栓があつた。さらに、肺蔵には、数日以上を経過するとみられる肺炎の像があり、全身の感染症と一連のものと考えられる心筋炎の像もあつて、その全身状態が極めて重篤なものであつた。

(三) そして、亡直樹の病名は必ずしも確定されていないが、その当初の診断では、前述の通り、敗血症、脳髄膜炎、脳膿瘍、脳血栓、脳腫瘍等の疑がもたれ、その後ほぼ感染症によつて起きた脳血栓、敗血症等と断定されるに至つたところ、亡直樹のかかる脳疾患や前述の如き重篤な容態に照らし、本件異型輸血がなかつたとしても、近い将来、亡直樹の病状が回復して、一命をとりとめ得たか否かは甚だ疑問であるのみならず、仮に亡直樹の体内から菌が出て熱が下り、その一命をとりとめ得たとしても、将来亡直樹が自力で生活を営み得る程に、知的、機能的回復をすることは不可能な状態にあり、いわんや通常人と同様に稼働し得る状態に回復することは不可能であつて、ただ植物人間として生き続けることができるに過ぎなかつた。

以上の事実が認められ、〈る。〉

してみると、亡直樹は、本件異型輸血がなされなかつたとしても、その従前の疾病により、将来稼働することは不可能であつたというべきであるから、右稼働能力のあることを前提に、亡直樹が金三〇六万五二〇二円の得べかりし利益を喪失し、原告らが右逸失利益を相続により取得したとの原告らの主張は、その余の点につき判断するまでもなく理由がない。

2  原告らの慰藉料

〈証拠〉によると、次の事実が認められる。すなわち、原告は、昭和三四年三月、東京農工大学獣医学科を卒業し、同年四月獣医となり、昭和三八年から獣医を開業していること、原告は、獣医の外にも、臨床衛生検査技師の免許や衛生管理者の免許を持つており、また、前記の如く獣医になつた後も、東京大学獣医外科学教室や麻布獣医科大学の伝染病学教室で研修を受けたこと、そして、原告澄とは、昭和三七年五月結婚し、亡直樹が死亡した当時、原告ら夫婦の間には、長男の正樹(昭和三八年一一月生で小学校二年生)と亡直樹の二人の子供があり、亡直樹は、被告大学の付属病院に入院する発端の本件病気に罹るまでは、比較的健康であつて、原告ら夫婦は、二人の愛児及び原告らの両親と共に、幸福な生活を送つていたこと、ところが、亡直樹が前述の如き経過で死亡したことにより、原告ら夫婦は、多大の精神的苦痛を被つたこと、以上の事実が認められ、〈る。〉

そして、以上に認定の諸事実に、前述の如き亡直樹の病状、亡直樹は、被告河野の異型輸血という重大な過失によつて死亡したものであつて、医師である被告河野の過失は極めて大きいこと、本件死亡事故は、昭和四七年三月に起きたもので、当時の死亡事故による慰藉料額は現在程高額でなかつたことは当裁判所に顕著なこと、その他諸般の事情を総合して考えると、亡直樹の死亡によつて原告らが被つた精神的苦痛が慰藉さるべき額は、原告ら各自につき、各金六〇〇万円と認めるのが相当であつて、これを超える原告らの主張は失当である。〈以下、省略〉

(後藤勇 野田武明 大田善康)

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